日々の中にふと立ちのぼる感情や、何気ない出来事の中に残る小さな思索。
そんな、見過ごしてしまいそうな「こころの風景」をすくい上げ、ひとつの小さな作品として綴っています。
毎回、ひとつの物語・詩・エッセイとして、日常の一場面をお届けします。
今回の作品は、
・昼のビールと、あの会議室 ― 数年前の嫌な記憶が、突然よみがえった日
を描いたエッセイです。
昼のビールと、あの会議室 ― 数年前の嫌な記憶が、突然よみがえった日
- 冷蔵庫からトマトを出して、まな板に置いた。
- 休日の正午すぎ。これからビールを開ける。つまみを用意している時間は、たいてい気分がいい。グラスはもう、冷凍庫で冷やしてある。
- 包丁を入れた、その瞬間だった。突然、あの会議室にいた。
- 蛍光灯が、少し白すぎた。長机の端に座っていて、膝の上には角の揃った資料がある。前のほうで誰かの名前が呼ばれ、拍手が起きた。
- 気づくと包丁を持つ手が止まっていて、トマトの断面から水がゆっくり広がっていた。
- 数年前、部署にとって数年に一度という大きな案件があった。私は主要メンバーのひとりとして加わり、実務の多くを引き受けた。やるべきことは、やり切ったと思う。ほぼ、完璧に。
- 報告の場で名前が挙がったのは、別の人たちだった。よく通る声で全体をまとめる人。いつも人の輪の中心で、誰かと笑っている人。
- 私は笑顔をつくっていた。頬だけが、自分のものではないみたいに軽かった。拍手の音は、ガラス一枚向こうから聞こえてくる。手の中の資料だけが、やけに重かった。
- 数年前の話だ。とっくに終わっている。
- そう思うたびに、自分に呆れる。まだ持っているのか、と。大人げない、気にしすぎだ、と。誰に言われたわけでもないのに、その声だけはいつも自分の声で聞こえる。
- よりによって、こんな時間に来なくてもいいのに、とも思う。気分のいいはずの昼に来られると、なおさら堪える。
- ふと、この一週間のことを思い返した。仕事がうまくいかなかった。何をやっても噛み合わず、手応えのないまま、疲れだけが溜まっていった。休日になっても、それは頭のどこかに居座っていたのだと思う。
- 頑張っているのに、報われない感じがする。今の私が抱えているものは、あの日の会議室で抱えていたものと、どこか手触りが似ていた。
- 記憶は、似た感触を手がかりに引き出されることがある、と言われているらしい。そのうえ、疲れているときは気持ちを落ち着かせるブレーキが効きにくくなる、とも。しまってあった本が、疲れた日にだけ棚から落ちてくる。そんな感じなのかもしれない。
- だとすれば、あの記憶は過去を蒸し返しに来たわけではない。今の私がいる場所を、いちばん古い言葉で知らせに来たのではないか。
- 包丁を置いた。手を洗い、まだ空のままのグラスを、両手で包む。冷たさが手のひらから入ってきて、白く曇った表面に、指の跡がつく。しばらく、その冷たさだけを感じていた。
- 記憶が消えたわけではない。ただ、会議室が少し遠くなった。蛍光灯の白さより、グラスの冷たさのほうが近くにある。
- あの日から何年も経ったのに、私はまだ、同じ種類の苦しさの中にいるような気がする。
- この場所から抜け出したいのは、あの日の続きを取り戻したいからだろうか。
- それとも、あの日とは違う場所に立ちたいからだろうか。
免責・補足
本記事について
この記事は、私自身の体験をもとにしたエッセイです。特定の個人や組織を批判する意図はありません。登場する場面や描写には、読みやすさのために一部脚色を加えています。
脳や記憶の仕組みについて
記事中で触れた脳の働きは、一般に言われている内容を、読みやすさを優先して簡略化したものです。専門的な正確さを保証するものではなく、個人差もあります。
また、この記事は医療や心理の専門的な助言ではありません。つらい記憶や気分の落ち込みが長く続くときは、ひとりで抱え込まず、身近な人や医療機関、専門の相談窓口に頼ることも選択肢のひとつだと思います。
AIの活用について
このブログでは、Anthropic社が開発するAI「Claude」を、専属編集者兼・思考の批評者として活用しています。企画の切り口の検討、構成の設計、文章への指摘や推敲の相談相手として対話を重ねながら、記事を形にしています。
AIは、私の考えを整理し、見落としている点を指摘してくれる存在です。ただし、題材の選択、体験の内容、そして最終的な言葉と判断は、すべて私自身のものです。
