この連載は、日々の中にふと立ちのぼる感情や、社会の片隅で揺れる思索を、AIとともに形にしていく試みです。 言葉を通して、私たちが見落としがちな「こころの風景」をすくい上げる——そんな静かな対話の記録です。 毎回、ひとつの断章として、小さな物語・詩・エッセイをお届けします。 今回の断章は―― ・森保一が嫌いだと気づいた日 を描いたエッセイです。 森保一が嫌いだと気づいた日 2026年5月15日。 ワールドカップのメンバー発表会見を見ていた。 ただ、それだけの話なのに、 見終わったあと、妙に心がざわついた。 イライラというほど単純でもなく、 不快感というほど整理もできない。 何かがずっと身体の内側に残っている感じだった。 夜になっても消えず、 翌日まで引きずった。 自分でも少し驚いた。 ただのサッカーの会見で、 ここまで感情を持っていかれるのか、と。 最初は、 「メンバー選考に納得できなかったからだろう」 くらいに思っていた。 でも、少し違った。 時間が経つほど、 自分の中にある別の感情が浮かび上がってきた。 たぶん私は、 森保一という人が、かなり苦手なのだ。 うすうす感じてはいた。 監督就任の経緯も、 自分の中ではどこか曖昧な印象が残っている。 大きく失敗はしない。 でも、何かを達成した感じもしない。 最低限の結果は残すが目標は何一つ達成しない。 それでも続投する。 その流れを、 私はずっと飲み込めずにいた。 ただ、 本当にしんどいのはそこからだった。 一度「嫌い」が強くなると、 見える景色が変わり始める。 会見での話し方が、 妙にぼやけて聞こえる。 言葉がはっきりしないように感じる。 選手選考も、 本当に実力だけを見ているのかと疑いたくなる。 涙を流す場面ですら、 どこか演出的に見えてしまう。 もちろん、 それが事実なのかは分からない。 むしろ、 違うのかもしれない。 でも、 嫌悪というのは恐ろしい。 一度そこに飲まれると、 相手のすべてが、 自分にとって“不快な証拠”へ変わっていく。 たぶん人は、 相手そのものを見ているわけではない。 感情のフィルター越しに、 世界を見ている。 好きな相手なら、 少しくらい曖昧でも、 「優しい言い方」と感じる。 でも、 嫌いな相手なら、 同じ曖昧さが 「逃げている」に変わる。 その違いは、 相手の中ではなく、 見る側の中にある。 だから今回、 少し怖かった。 森保一という監督についてではなく、 そこまで簡単に認識が歪む、 自分自身の方が。 ワールドカップが終わったら、 退任してほしいと切に思っている。 その気持ちは今も変わらない。 ただ同時に、 ここまで感情を乱されるということは、 私はもう、 この人を冷静には見られないのだとも思う。 嫌いという感情は、 相手を遠ざけるだけではない。 こちらの視界まで、 少しずつ濁していく。 免責・補足 本記事は、特定人物への誹謗中傷を目的としたものではありません。2026年5月15日のワールドカップメンバー発表会見を見た際に生まれた、筆者自身の感情の揺れや違和感について、内省的に綴ったエッセイです。 記事内で述べている印象や受け取り方は、あくまで筆者個人の主観によるものであり、事実の断定や評価を目的としたものではありません。 また、本ブログ『富三太郎の日記』では、OpenAIのChatGPTを専属編集者兼・思考の批評者として活用しながら、対話を通じて文章の構成や視点整理を行っています。 AIとの対話を通じて生まれた考察や感情の断片を、人間側の視点で再編集し、「AIと綴る心の断章」として掲載しています。 ... 続きを読む
