第48回 AIと綴る心の断章

この連載は、日々の中にふと立ちのぼる感情や、社会の片隅で揺れる思索を、AIとともに形にしていく試みです。

言葉を通して、私たちが見落としがちな「こころの風景」をすくい上げる——そんな静かな対話の記録です。

毎回、ひとつの断章として、小さな物語・詩・エッセイをお届けします。

今回の断章は――

・いつまで経っても、アウェーだった

を描いたエッセイです。


いつまで経っても、アウェーだった

  • 叔父が亡くなったと連絡を受けたとき、少し驚いた。
  • そして、少し動揺した。
  • 叔父は高齢だった。
  • 数年前には大きな病気もしていた。
  • だから、いつかこういう連絡が来るのではないかと、どこかで思っていた。
  • 一時間も経たないうちに、気持ちは落ち着いた。
  • 特に強い悲しみが押し寄せてきたわけでもなかった。
  • 叔父と不仲だったわけではない。
  • 母が元気だった頃は、正月になると叔父の家を訪ねた。
  • そのたびに食事を用意して、歓迎してくれた。
  • ただ、母が一人で暮らせなくなり、施設に入った頃からだっただろうか。
  • 叔父の私に対する態度が、少し変わったように感じた。
  • 母を施設に入れたことに、何か思うところがあったのかもしれない。
  • それとも、私の考えすぎだったのかもしれない。
  • もう、そのことを本人に聞くことはできない。
  • 叔父が亡くなったことよりも、私が憂鬱だったのは、葬儀に行くことだった。理由は、叔父との関係だけではなかった。
  • そこに集まる親族たちの中に、自分がいることを想像すると、どうにも気が重かった。
  • 親族なのに。
  • 身内なのに。
  • 私は、あの場所に行く前から、少しアウェーだった。

親族の中にいるのに

  • 葬儀には、兄夫婦や叔母、従兄弟たちが集まっていた。もちろん、知らない人ばかりではない。兄は実の兄だし、叔母や従兄弟も昔から知っている。
  • それでも、私はその中にいると、どこか落ち着かなかった。
  • 兄とは、仲が悪いわけではない。ただ、年齢が離れていることもあり、普段から頻繁に会うわけではない。
  • 会えば話はする。
  • しかし、自然に会話が続くような関係でもない。
  • それに、兄と私は、考え方も性格もかなり違う。
  • 兄はよく話す。
  • 誰とでも調子よく話し、その場を自分のペースにするのが上手い。
  • 私は、その逆だ。
  • 人の輪の中に入るのは得意ではない。
  • 何を話せばいいのかわからなくなることもある。
  • 無口だと言われることもある。
  • 叔母や従兄弟たちにも、それぞれの関係があった。
  • 子どもの頃から一緒に遊び、大人になってからも交流が続いている人たちがいる。
  • その輪の中に、私は入っていない。
  • 誰かに仲間外れにされたわけではない。
  • 誰かが私を嫌っているわけでもない。
  • それでも、そこにいると、自分だけが少し外側にいるような気がした。
  • 親族の中にいるのに。
  • 身内の集まりなのに。
  • どうにも、自分の居場所が見つからなかった。

待っている時間が、いちばん長かった

  • 葬儀そのものは、まだよかった。
    式が始まれば、やるべきことがある。
    座っている。
    手を合わせる。
    式の流れに従う。
    そこでは、何かを話さなければならないわけではない。
  • しかし、待っている時間は違った。
  • 式が始まる前。
  • 次の予定までの時間。
  • 食事をしている時間。
  • 誰かと話していなければならないわけではない。
  • だからといって、一人で黙っているのも、どこか落ち着かない。
  • 周りでは、誰かが誰かと話している。
  • 笑い声が聞こえることもある。
  • 私は、その会話の中に入ることもできず、ただそこにいる。
  • 時計を見る。
  • まだ、こんな時間しか経っていない。
  • また少し経って、時計を見る。
  • それでも、あまり時間が進んでいない。
  • その日、時間はいつもよりゆっくり進んでいた。
  • 待っている時間と、食事の時間が、特に長かった。
  • 早く帰りたい。
  • ただ、それだけを考えていた。
  • 今思えば、私はずっと、その場から逃げたかったのかもしれない。

家に帰ってから残ったもの

  • 葬儀が終わり、家に帰った。
  • 家に着いたときは、ようやく終わったという気持ちだった。
  • ほっとした。
  • しかし、時間が経つにつれて、なんとも言えない嫌な気持ちが残ってきた。
  • 疲れていた。
  • それは間違いない。
  • ずっと居心地の悪い場所にいたのだから、疲れて当然だと思った。
  • でも、ただの人疲れとも少し違う気がした。
  • 家に帰ってからも、あの場所の空気がどこかに残っていた。
  • ずっと気を使っていた。
  • 何を話せばいいのか。
  • 何を言わない方がいいのか。
  • 自分は、どこにいればいいのか。
  • 何もしていないようで、ずっと何かをしていた。
  • 周囲の様子を見て。
  • 空気を読んで。
  • 自分がそこにいても不自然ではないようにしていた。
  • だから疲れたのだと思う。
  • ただ、それだけではなかった。
  • 家に帰ってから、ふと思った。
  • また、馴染めなかったな、と。
  • たぶん私は、少し自己嫌悪に近いものを感じていたのだと思う。
  • もっと自然に話せばよかったのか。
  • もっと自分から会話に入ればよかったのか。
  • なぜ、自分だけこんなふうになるのだろう。
  • そんなことを考えていた。
  • でも、少し時間が経つと、自己嫌悪という言葉だけでは、何かが違うような気がしてきた。
  • 私は、自分を責めていたのだろうか。
  • それとも。
  • ただ、また自分の居場所がなかったことが、思った以上につらかったのだろうか。
  • 「また馴染めなかった」というよりも。
  • 「また一人だった」
  • という感覚の方が、近かったのかもしれない。

何十年も前の叔父の家

  • そんなことを考えていたとき、なぜか子どもの頃のことを思い出した。
  • 私が通っていた保育園の近くに、叔父の家があった。
  • 母が働いている間、私は叔父の家にいることがあったらしい。
  • 当時は、母の母である祖母も健在だった。
  • 私は祖母と一緒に過ごしていたのだと思う。
  • その頃の私は、内気で、人見知りだった。
  • 母への依存も強かったらしい。
  • 保育園にも行きたがらなかったという。
  • 叔父の家でも、私はほとんど話さずにいたそうだ。
  • 正直に言えば、当時のことを私はあまり覚えていない。
  • 楽しかったのか。
  • 寂しかったのか。
  • 怖かったのか。
  • よくわからない。
  • ただ、今の自分から考えると、あの頃の私は、ずいぶん居心地が悪かったのではないかと思う。
  • まだ小さくて。
  • 何もわからなくて。
  • 人との距離の取り方もわからなくて。
  • 母から離れることも不安だった。
  • そんな子どもが、知らない大人たちのいる場所で、うまく話せずに黙っていた。
  • 大人になった今でも、人の輪の中に入れないことがつらいのだから。
  • 何も知らなかった子どもの頃なら、なおさらだったのではないだろうか。
  • もちろん、これは今になってそう思うだけだ。
  • 当時の私が、本当にどんな気持ちだったのかはわからない。
  • でも。
  • あの日、葬儀の場で感じた居心地の悪さと。
  • 何十年も前の叔父の家にいた自分が。
  • なぜか、少し重なって見えた。

変わったはずなのに

  • もちろん、子どもの頃と今は違う。
  • 私は大人になった。
  • 仕事もしてきた。
  • 人と話すこともある。
  • 子どもの頃より、できることは増えた。
  • 昔の自分と、今の自分が同じわけではない。
  • それでも。
  • 人の輪の中に入れないとき。
  • 自分だけ少し外側にいると感じたとき。
  • 昔とよく似た感覚が、心のどこかから出てくることがある。
  • 大人になれば、昔苦手だったことも、少しずつ乗り越えていくものだと思っていた。
  • 経験を重ねれば。
  • 年齢を重ねれば。
  • いつか、人との距離の取り方も自然にわかるようになる。
  • 自分の居場所も、上手に作れるようになる。
  • そう思っていた。
  • でも、そうでもないらしい。
  • 人は変わる。
  • 昔よりできることも増える。
  • それでも、昔の自分が完全にいなくなるわけではないのかもしれない。
  • 何かの拍子に。
  • 昔と似た空気の中に入ったとき。
  • 心の奥に残っていた昔の自分が、また少し顔を出す。
  • そんなことがあるのかもしれない。

いつまで経っても、アウェーだった

  • 叔父の葬儀で感じたアウェー感は、叔父との関係だけが原因だったわけではない。
  • 兄との関係。
  • 従兄弟たちとの距離。
  • 自分自身の性格。
  • いろいろなことが重なっていたのだと思う。
  • そして、もっと前から続いていた何かも。
  • 私は昔から、こういう場所が苦手だったのかもしれない。
  • みんなが自然に話している場所。
  • すでに関係ができあがっている場所。
  • 自分だけが、どこに入ればいいのかわからない場所。
  • そんな場所に行くと。
  • 今でも、居心地が悪くなる。
  • いつまで経っても。
  • 年齢を重ねても。
  • 大人になっても。
  • 私は、ときどきアウェーになる。
  • いや。
  • 本当は、その場所がアウェーなのではないのかもしれない。
  • そこにいる自分が、自分自身をアウェーにしているのかもしれない。
  • でも、それも、まだよくわからない。
  • あの日、家に帰ってから感じた、あの嫌な気持ち。
  • あれは、ただ疲れていただけだったのか。
  • また馴染めなかったことへの自己嫌悪だったのか。
  • それとも。
  • ずっと昔から持っている、居場所のなさのようなものが、少し顔を出したのか。
  • 今でも、よくわからない。
  • ただ。
  • 叔父の家で、ほとんど話さずにいたという子どもの頃の私と。
  • 親族の中で、どこか居場所を見つけられなかった今の私が。
  • あの日は、少しだけ同じ場所にいたような気がしている。
  • 何十年も経っている。
  • それでも、人は昔の自分を完全に置いていくことはできないのだろうか。
  • あの日、親族の中でアウェーだったのは。
  • 今の私だけだったのか。
  • それとも。
  • 叔父の家で、黙っていたあの頃の私も。
  • まだ、心のどこかにいたのだろうか。

免責・補足

本記事は、筆者自身の経験や、そのときに感じた感情をもとにした個人的なエッセイです。

記憶や人間関係については、あくまで筆者自身の受け止め方や解釈が含まれており、事実関係や他者の内心を断定するものではありません。

また、本記事の執筆にあたっては、OpenAIのChatGPTを専属編集者兼・思考の批評者として活用しています。

ただし、記事に記されている体験や感情、考え方については筆者自身のものであり、最終的な内容の判断と責任は筆者にあります。

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