サッカーでは、審判の判定一つで試合の状況が大きく変わることがある。
本来認められるべきではない得点が認められたり、正当なPKが見逃されたりすれば、選手やクラブが不利益を受ける。応援する側にとっても、納得できない判定が長く記憶に残ることはあるだろう。
特に、昇格や降格、優勝争いなど、シーズンの行方に関わる試合であれば、その悔しさは簡単には消えないと思う。
一方で、以前から少し気になっていることがある。
それは、「誤審によって不利益を受けたこと」と「誤審によって負けたこと」は、同じ意味なのだろうかという疑問だ。
今回、2014年のJ1昇格プレーオフ決勝をめぐる記事やSNSの投稿を目にして、この点について改めて考えてみたいと思った。
誤審によって不利益を受けたことは否定できない
まず、誤審によって選手やクラブが不利益を受けること自体は、当然ながら問題にされるべきだと思う。
- 例えば、次のようなケースがある。
- オフサイドの見逃しによって失点する
- 正当なPKが認められず、得点機会を失う
- 不当な退場によって数的不利になる
- 誤ったファウル判定によって攻撃の機会を失う
こうした事象は、競技規則や試合映像などをもとに、個別に検証できる。
実際に誤った判定があり、それによって不利益を受けたのであれば、その判定について説明を求めたり、審判の評価や再発防止を求めたりすることには意味がある。
誤審によって不利益を受けた側の悔しさを否定するつもりはない。
ただし、ここで考えたいのは、その先の話だ。
「不利益を受けた」と「負けた」は同じなのか
例えば、誤審によって失点し、0対1で試合に敗れたケースを考えてみたい。
この場合、誤審によって失点したことは確認できる。
さらに、その失点が最終スコアに残り、試合に敗れたことも事実である。
では、この試合について「誤審によって負けた」と言い切れるのだろうか。
日常的な表現として、そう言いたくなる気持ちは理解できる。
しかし、誤審がなかった場合、試合はどうなっていたのだろうか。
- 例えば、
- そのまま0対0で試合が終了していたかもしれない。
- 失点したチームが得点し、勝利していたかもしれない。
- 相手チームが別の形で得点していたかもしれない。
- 判定が変わったことで、その後の試合展開そのものが変化していたかもしれない。
いずれも可能性としては考えられる。
しかし、実際には起きなかった試合展開であり、どのような結果になっていたかを確定することはできない。
つまり、誤審によって失点したことと、誤審がなければ勝っていたことの間には、もう一段階の議論が必要なのではないだろうか。
試合全体を考えるなら、有利な判定も検証する必要があるのではないか
もう一つ考えておきたいことがある。
それは、試合全体の判定を検証する場合、自分たちに不利だった判定だけを取り上げてよいのか、という点だ。
例えば、特定の誤審によって不利益を受けたことを検証するのであれば、その判定を個別に確認すればよい。
しかし、試合全体について「誤審によって負けた」と主張するのであれば、少し事情が異なると思う。
自分たちに不利だった判定だけでなく、有利だった判定や、見逃された反則なども含めて確認する必要があるのではないだろうか。
もちろん、実際に有利な誤審があったと決めつけるつもりはない。あくまで、試合全体を評価するのであれば、どちらのチームに有利だったかにかかわらず、同じ基準で検証する必要があるということだ。
ただし、仮にすべての判定を正しいものに置き換えたとしても、実際の試合展開を再現できるわけではない。
一つの判定が変われば、その後の選手の動きや戦術、交代、試合運びまで変わる可能性がある。
したがって、有利不利を含めて検証する姿勢は重要だが、それによって最終結果まで確定できるわけではない。
2014年のJ1昇格プレーオフをどう考えるか
今回の疑問を考えるきっかけの一つになったのが、2014年のJ1昇格プレーオフ決勝だ。
ジェフユナイテッド千葉はモンテディオ山形に敗れ、J1昇格を逃した。
この試合については、山形の得点が誤審によって認められたものであり、その判定がなければ千葉は昇格していたという趣旨の投稿が見られる。
また、当時の悔しさだけでなく、その後の長いJ2生活や、さらに後に訪れた歓喜まで含めて、別の歴史を想像する投稿もあった。
こうした思いを持つこと自体は理解できる。
ただ、ここでも分けて考えたいことがある。
1つ目は、当該判定が正しかったのか。
2つ目は、その判定によって千葉がどのような不利益を受けたのか。
3つ目は、その判定がなければ千葉はJ1に昇格していたと言えるのか。
最初の2つは、試合映像や競技規則、試合状況などをもとに検証できる可能性がある。
しかし、3つ目については、実際には起きなかった試合展開を想定しなければならない。
誤審がなければ千葉が昇格していた可能性はあると思う。
しかし、その可能性があることと、誤審がなければ昇格していたと確定できることは違う。
その後のクラブの歴史を含めて別の世界線を想像することはできても、それを実際の昇格失敗の確定的な原因として扱うことには慎重でありたい。
誤審の責任を問うために、敗因まで証明する必要があるのか
こまで考えてきたことを踏まえると、もう一つ疑問が生まれる。
それは、誤審の責任を問うために、誤審がなければ勝っていたということまで証明する必要があるのだろうか、という点だ。
私は、その必要はないと思う。
誤審によって不利益を受けたのであれば、その判定について検証し、原因分析や再発防止につなげることには十分な意味がある。
審判の判定を評価し、技術向上を図ることも重要だろう。
そのために、必ずしも「誤審がなければ勝っていた」と証明する必要はない。
一方で、審判の責任を問うことと、試合の敗因を審判に帰することは別の議論だと思う。
誤審があったことを問題にするのは当然としても、その判定がなければ勝っていたという結論まで導くには、慎重な考察が必要ではないだろうか。
不利益を受けたことと、負けた原因をどう区別するのか
誤審によって不利益を受けた選手やクラブの悔しさは理解できる。
その判定によって試合状況が変わり、結果に影響を与えた可能性も否定できない。
ただし、誤審によって不利益を受けたことと、誤審がなければ勝っていたことは、同じではない。
私は、誤審による被害を問題視することと、敗戦との因果関係を慎重に考えることは、両立できると思っている。
むしろ、この二つを分けて考えることで、誤審そのものの問題や、審判制度に求められる改善についても、より冷静に議論できるのではないだろうか。
誤審によって不利益を受けたことと、誤審によって負けたこと。私たちは、その二つをどこまで区別して考えているだろうか。
そして、誤審による被害を正当に問題視するために、誤審がなければ勝っていたという証明まで必要なのだろうか。
免責・補足
この記事は、サッカーの試合における「誤審で負けた」という言い方について、筆者が個人的に抱いた疑問を整理したものです。特定の審判、クラブ、監督、選手、ファン、記事の筆者を批判・非難する意図はありません。また、判定の検証や再発防止を求めること自体を否定するものでもありません。
2014年のJ1昇格プレーオフ決勝についても、当時の関係者やサポーターの思いを否定する意図はありません。また、特定の判定の正誤を改めて断定することよりも、誤審による不利益と敗戦との因果関係をどのように区別して考えるべきか、という問題提起を主な目的としています。
AIの活用について
本記事の構成づくりと執筆にあたり、OpenAIのChatGPTを、専属編集者兼・思考の批評者として活用しています。論点の整理、隠れた前提の洗い出し、別の角度からの視点提示、反対意見の想定などで思考の補助として使い、AIの出力をそのまま採用するのではなく、筆者が内容を確認し、判断したうえで文章にしています。AIは筆者の考えを広げる道具であり、結論や評価を決めるものではありません。なお、AIの出力には誤りが含まれる可能性があるため、事実関係は筆者が確認するようにしています。
