制度を作った人は、その後の責任をどう考えているのか
西山朋佳さんが白玲通算5期を達成し、女性初の棋士資格を取得することになった。
今回の制度については、さまざまな意見があるようだ。白玲5期という基準が適切なのか、従来の棋士資格取得ルートとの整合性はどうなのか。制度そのものに疑問を持つことは、決しておかしなことではない。
ただ、私が気になっているのは、そうした批判がある一方で、制度を発案・推進した側や、棋士総会で賛成した側の姿があまり見えてこないことだ。
今回の制度は、西山さん自身が作ったものではない。
それなのに、制度を利用した本人に批判が向けられ、制度を作った側の説明や責任については、あまり議論されていないように感じる。
なぜ、このような構図になっているのだろうか。
今回の制度は、誰が決めたのか
2025年6月6日、日本将棋連盟の通常総会で、白玲を通算5期獲得して「クイーン白玲」の称号を得た女流棋士に、フリークラスへの編入資格を与える新制度が可決された。
この制度は、当時会長だった羽生善治氏が発案・推進したものであり、最終的には総会での承認を経て成立した。
ここで確認しておきたいのは、議決権を持っていたのが棋士だけではなかったという点だ。
日本将棋連盟の定款では、正会員にタイトル獲得者または女流四段以上の女流棋士も含まれている。総会は正会員によって構成され、1人につき1個の議決権を持つ。
つまり、西山朋佳さんや福間香奈さんのようなタイトル獲得者も、当時の定款上は議決権を持つ立場だった。
ただし、両者が実際に総会に出席したのか、どのような判断をしたのかまでは確認できていない。
この点は重要だと思う。
制度を発案・推進した側と、総会で承認した側、そして制度の適用を受ける側。それぞれの立場は同じではない。
制度を作った責任と、議案に賛成した責任を区別したうえで、誰がどのような判断をしたのかを考える必要がある。
白玲5期という基準の説明だけで十分なのか
日本将棋連盟は、白玲通算5期という基準について、永世名人に匹敵する希少な実績であることや、近年の女流棋士の棋力向上などを理由として説明している。
つまり、簡単に棋士資格を与える制度ではなく、極めて高い実績を求めることで、その妥当性を説明したのだろう。
ただ、ここで気になることがある。
それは、制度を設けた理由の説明と、制度全体の妥当性を説明することは、同じなのだろうかという点だ。
例えば、なぜ白玲5期という基準が適切なのか。従来の棋士資格取得ルートとの違いや整合性をどのように考えたのか。制度を導入した後に生じる問題について、どこまで想定していたのか。
こうした点についても、説明があってよいのではないだろうか。
もちろん、制度を作る段階ですべての問題を予測することは難しい。
しかし、実際に制度が適用され、さまざまな意見や批判が生じたのであれば、当初の判断を改めて説明することには意味があると思う。
制度を成立させるために説明したからといって、その後に生じた疑問についてまで説明する必要がなくなるわけではない。
制度を利用した人が、制度への批判まで背負うのか
今回、私が気になっていることの一つが、西山さんに対する批判だ。
制度そのものに疑問を持つ人がいることは理解できる。従来の棋士資格取得ルートとの違いについて、議論することも必要だろう。
しかし、制度への疑問と、制度を利用した本人への批判は分けて考えるべきではないだろうか。
西山さんは、自分で制度を作ったわけではない。連盟が定めた条件を満たし、与えられた権利を行使した。
それにもかかわらず、制度への不満や疑問まで本人に向けられるのであれば、少し違和感がある。
もちろん、棋士になった以上、今後の将棋の実績について評価されることは当然だと思う。
しかし、それと制度の設計や導入の妥当性は別の問題だ。
さらに考えると、西山さんにとっては、どちらを選んでも難しい立場になった可能性がある。
権利を行使すれば制度への批判を受ける可能性があり、行使しなければ、せっかく設けられた制度の意味や、白玲というタイトルの位置付けについて別の議論が生じたかもしれない。
実際にどうなるかは分からないが、少なくとも制度を利用する本人に、制度そのものの問題まで背負わせる必要があるのだろうか。
私は、西山さんもまた、制度とその後の反応に翻弄されている側面があるのではないかと感じている。
制度を決めた側は、なぜ説明しないのか
今回、最も気になっているのはここだ。
羽生氏は制度の発案・推進に関わった人物であり、棋士総会では賛成多数によって承認された。
つまり、個人の思いつきで始まった話ではなく、将棋界として正式に決定した制度である。
それなのに、制度が実際に適用され、西山さんに対する批判や制度への疑問が生じている現在、制度を推進した側から改めて説明する姿勢が見えにくい。
なぜなのだろうか。
すでに棋士総会で決まったことだから、これ以上説明する必要はないということなのだろうか。
あるいは、現在の執行部に対応を任せているのだろうか。
個人が発言することで、議論がさらに大きくなることを避けている可能性もある。
実際の理由は分からない。
ただ、私には、制度を決める段階では関与していた人たちが、実際に問題が生じた後は距離を置いているようにも映る。
少し厳しい言い方をすれば、面倒な問題が発生したことで、あえて関わらないようにしているのではないか、という印象さえある。
もちろん、発言しないことだけを理由に、本人たちが責任から逃げていると断定するつもりはない。
しかし、外から見たときに、そのような印象を与えてしまっていることについては、考える必要があるのではないだろうか。
決定・承認・運用・説明、それぞれの責任
ここで、今回の問題をもう一度整理してみたい。
制度を発案・推進した人には、なぜその制度を作ろうと考えたのかという説明が求められる。
棋士総会で賛成した人たちには、なぜその制度を承認したのかという判断の根拠がある。
そして、日本将棋連盟には、制度をどのように運用し、問題が生じたときにどう対応するのかという責任がある。
それぞれの責任は同じではない。
羽生氏は現在の会長ではないため、現執行部と同じ運用責任を負うわけではないだろう。また、賛成した棋士全員が個別に発言する必要もないと思う。
しかし、だからといって、制度を発案・推進した側に当初の判断について説明する意義がなくなるわけではない。
また、棋士総会で承認された以上、連盟としても組織の判断について説明する役割があるはずだ。
制度を作った側に求めたいのは、すべての批判を引き受けることではない。
自分たちが決めたことについて、その判断の根拠や現在の考えを説明することだ。
一方、西山さんには、棋士としての活動や実績について評価される立場がある。
しかし、制度設計の妥当性まで説明する立場ではないはずだ。
この区別を曖昧にしてはいけないと思う。
制度を作った側に求められるもの
日本将棋連盟は、西山さん個人への誹謗中傷について注意喚起を行っている。
個人への攻撃を控えるよう求めることは、当然必要な対応だと思う。
ただし、誹謗中傷への対応と、制度そのものへの説明は別の問題だ。
制度に疑問を持つ人に対して、どのような考えでこの制度を設けたのか、実際に適用された現在、どのように評価しているのか。
そうした説明をすることも、制度を決定した組織の役割ではないだろうか。
今回の件は、西山さんが棋士にふさわしいかどうかという議論だけでは十分ではないと思う。
制度を作った人、承認した人、運用する人、そして制度を利用した人。
それぞれの立場と責任を整理する必要がある。
制度への批判はあってよい。制度の基準に疑問を持つこともあってよい。
しかし、その批判を制度を利用した個人に集中させるのではなく、制度を決定した側にも向けるべきではないだろうか。
最後の問い
制度を作るときには、その必要性や妥当性を説明する。
しかし、実際に制度が使われ、問題や批判が生じたときには、決めた側はどこまで責任を持つべきなのだろうか。
決めたときだけ責任を持ち、その後のことは制度を利用した人に委ねる。
それで本当に十分なのだろうか。
免責・補足
本記事は、西山朋佳さん個人の棋力や実績、棋士資格を取得する権利の行使を批判することを目的としたものではありません。また、特定の人物の意図や考えを断定するものでもありません。
今回取り上げているのは、日本将棋連盟が設けた棋士資格取得制度のあり方と、その制度を発案・推進・承認した側に求められる説明責任についてです。
制度への疑問や批判と、制度を利用した個人への批判は、分けて考える必要があると考えています。
なお、本記事の執筆にあたっては、OpenAIのChatGPTを専属編集者兼・思考の批評者として活用しています。論点の整理、異なる視点からの検討、文章構成の調整などに利用していますが、最終的な論旨の決定と内容への責任は筆者にあります。
AIによる整理や指摘をそのまま正解とするのではなく、自分自身の考えを深めるための補助として活用しています。
