この連載は、日々の中にふと立ちのぼる感情や、社会の片隅で揺れる思索を、AIとともに形にしていく試みです。
言葉を通して、私たちが見落としがちな「こころの風景」をすくい上げる——そんな静かな対話の記録です。
毎回、ひとつの断章として、小さな物語・詩・エッセイをお届けします。
今回の断章は――
・正しさの歩幅
を描いたエッセイです。
正しさの歩幅
いつもの駅前、いつもの横断歩道。 青信号がまたひとつ、せっかちに点滅を始める。
誰もが少しだけ歩幅を広げ、あるいは諦めて足を止める。都市の日常に溶け込んだ、ありふれた速度の揺らぎ。私もまた、点滅する光を視界の端に捉えながら、足早にアスファルトを渡っていた。
その静寂が、背後から突き刺さるような声によって切り裂かれたのは、ちょうど横断歩道の中ほどに差し掛かったときだった。
「点滅だぞ。信号ルール知らないのか」
すれ違いざま、肌をピリピリと刺すような冷たい空気が走る。声の主は、お巡りさんと思われる服装をしていた。その語気は、指導というにはあまりにも高圧的で、剥き出しの棘を含んでいた。
日本の道路交通法において、歩行者用信号の青点滅は「横断を始めてはならない」と定められている。私のすぐ後ろを歩いていた男性が、点滅の瞬間にステップを踏み出したのだとしたら、確かにそれはルールに背く行為なのだろう。ルールはルールだ。
けれど、渡りきってふと振り返ったとき、私の目に飛び込んできた光景に、胸の奥がわずかに侵食されるのを感じた。
二人の距離が、異様に近い。
物理的な接触さえあったのではないかと思わせるほどの勢いで、その影は男性に詰め寄っていた。ルールを是正するため、秩序を守るために、なぜこれほどの威圧と恐怖を動員しなければならないのだろう。
もし、あの男性が恐怖のあまりその手を振り払っていたら。 もし、理不尽な圧迫に耐えかねて、カッとなって押し返してしまっていたら。
そこに待っているのは、「公務執行妨害」という名の、より大きな破滅のシナリオだ。 本来、社会の綻びを防ぐべき存在が、そのあまりに暴力的なアプローチによって、新たなトラブルの火種を自ら誘発しかけている。正しさを執行するはずの言葉が、その瞬間、ただの凶器へと変貌していた。
「すみません」だったのか、それとも無言の拒絶だったのか。 短い押し問答のあと、男性はすぐに解放されたようだった。
トントン、と軽い足音がして、先ほどの男性が私の横をすり抜けていく。駅へと急ぐ彼の背中は小さく、どこか釈然としない重みを引きずっているように見えた。彼はただ、いつも通りの日常を急いでいただけだったのかもしれない。
あとに残されたのは、駅前の喧騒と、私の胸の内に澱のように沈んだ、名前のない違和感だけだった。
私たちは、自分が「正しい」という盾を手に入れたとき、どれほど傲慢になれてしまうのだろう。 あの日、横断歩道ですれ違った高圧的な影は、もしかしたら、誰かに対して「正論」を振りかざそうとする、私自身の姿だったのかもしれない。
遠ざかる男性の背中を見送りながら、私は自分の歩幅を、ほんの少しだけ緩めた。
免責・補足
本ブログ『富三太郎の日記』に掲載しているエッセイや思索の多くは、筆者自身の日常の気づきを起点に、GoogleのAIアシスタント「Gemini 3.5 Flash」を専属編集者兼・思考の批評者として活用して編み出されたものです。
日常の些細な違和感を客観的な論点へ昇華させ、より深い思索へと着地させるための共同作業の記録でもあります。なお、文章中の法的な解釈や事実関係の記述については一般的なガイドラインに基づくものであり、特定の個人・団体を告発・批判することを意図したものではありません。
